酒の肴に演技論@「独りよがりなお芝居」

2018/08/29

先に断っておきますがお芝居の理論なんて役者の数だけあります

 

なので、これから書くことは役者を経験したことのある方ならご存知ですが、居酒屋で酒を片手に火照った頭のまま熱く語り、翌朝の頭痛ですべて忘れる。そんな酒のつまみにしかならない「くだらない話題」です(ぷひゃー!

 

そして「メソッド演技法」をはじめとする「演じ方」について話すとなると長くなるので、今回は「独りよがりなお芝居ってなんぞ」ってお話に絞ってみます。

 

 



ちなみに​​私自身はメソッド演技法はあまり好きではないのですが、それでも数多くの方に支持された伝統ある技法ですので興味のある方はステラ・アドラーの「魂の演技レッスン22」あたりを読んでみるとよいと思います。

 

オーソドックスな演技法に関してはキャラメルボックスの成井豊さんの「成井豊のワークショップ」あたりが分かりやすかったかと。

 

ワークショップで演技レッスンを受けたりしている方でも一度目を通すと頭の整理になるのでお勧めです。

 

 

 

 

とまぁ、正直ぼくが説明するよりこういった本を読む方が詳しく説明していますし、何より「何を語るか」ではなく「何を騙るか」で人の理解度は変わるので有名な講師の言葉には数段劣ります。

 

が、このブログは「指の運動」と称した頭の整理なので勝手に書きます。

 

 

こんなブログ読まなくて良いですよー!

 

 

 

さて、事の発端はタイムラインに流れてきたこんな感じのツイート。

 

 

 

役者の仕事は役への「感情移入」だと思っている人がいるけど、「感情移入」するのは観客だ。どうやったら観客が「感情移入」できるかを考えて演じる。芝居は役者が気持ちよくなるためにあるんじゃない。(一部簡略化)

 

 

芝居上、感情移入という言葉は「役者」のためにあるものではなく「受け手」のために存在するのだー。的な奴ですね。

 

これはとても大切なことで、特にお芝居を始めたばかりの頃って「感情開放のインプロゲーム」とかをよくやるので勘違いしてしまうんですよね。

特に「良いお芝居は感情のこもったお芝居だ」っていう「受け手側の理論」に縛られてしまって、「そのお芝居が良いと思った理由」だったり「自分が感情移入してしまった理由」に目が向かない。

 

 

え? 自分はそんなことわかってる???

 

 

出口は右上のばってんマークです‼

 

 

 

さて、初期段階のインプロゲームで「会話のキャッチボール」をやったことはあるでしょうか。セリフと共にボールを投げ、ボールを受け取った側はそのセリフに対してセリフを返す。

 

お芝居の基礎「掛け合い」を分かりやすく形にしたインプロゲームですね。

 

基本的にお芝居っていうものはこのゲームが体現しているように「誰かに向けて行うもの」なんです。

 

それは「共演者」だったり「観客」だったり「リスナー」だったりと対象が必ず必要になります。

 

 

 

そして根本的に人が言葉を発する時とは「誰かに何かを伝えようとしているとき」です。

 

 

なのにお芝居だと「セリフ」が用意されているので「簡単に独り言」が言えてしまう

 

実生活で「独り言」を叫んでいる人がどういう目で見られるかはご存知かと。

なので必ずセリフは「誰かに向けて発するもの」、そして何のために発するのか、表現するのかといえば、さて、何のためでしょうか?

 

 

伝えたいものがあるからです。

(うわぁ、なんだかすっごくうさんくさいですね)

 

気持ちよくなるため、だというのでしたらそれも結構。

 

 

 

お出口は右上のばってんまーくです。

 

 

いや、気持ちよくなるのは全然悪いことじゃないのですが、今回の本題とは方向が違うだけな話なのですが。

 

 

セリフは掛け合いをしている相手にその登場人物が「何かを感じて何かを伝えようとして発せられた言葉」であり、その掛け合いによって生まれるシーンは「作家が観客(リスナー)に向けて書いた言葉」です。

 

 

それ故に演者がそれを伝えるために何をすべきかというと「観客に感情移入してもらう」ってことになるんですよね。

(頭のツイートのお話)

 

 

ここで間違ってはいけないのは「別に役にのめりこむのがダメ」と言っているわけではない。ということです。

 

 

役を演じるとは「一人称」と「三人称」が自分の中で同時に存在することハートは熱く燃え上がり、それを冷静な頭で計算する自分もいる。そういった状態を生み出すことです。

※演技法に踏み込んだ話になるので「いやいや、それはどうよ」って拒否反応が出る人もいるとは思います。これは宗教だ!!

 

 

なので「感情移入」することは悪ではありませんし、演者自身が役の目線に立って物事を追体験することで見えてくる事柄もあると私は思っています(むろんそれを否定する方もいます。だからこそ間に酒をおいて話します。べらぼうに酔いながら恥ずかしい話をするのです)

 

 

 

ちなみに「怒っているシーン」を演じる上で「本当に怒って見せて」も実際のところ「怒っているようには見えない」という場合は多いです。

 

 

何をもって「怒っている」と人は認識するのか。

 

 

怒鳴り散らせば怒っていると思われるのか、それとも唸るように睨みつけて「おい」と腹からひと言発せられた言葉が空気をピリピリさせるのか、どの「怒り」がそのシーンをよりよくさせるのか。

 

 

それを見つけるには「感情移入」して視野を第一人称に絞ってしまうのではなく、第三者の視点を持ち、そして受け手側に立ってみるというのが大事になるのではないでしょうか。

 

そしてそれを自信が「発する側」である以上、最終的に受け手側が「感情移入」することが目標になります。(=作品を作る目的)

 

 

 

これを忘れて「自分は役に感情移入するんだ!」「私はイタコ型の演者なんだ!」と言って「第三者の存在」を見落としてしまうと演出家から灰皿を投げつけられるような「独りよがりの芝居」になってしまうのです。

 

 

 

とまぁ、お芝居をそれなりにこなしてきた方なら「何をいまさら(笑」と言われるような話題でしたが、演者の世界に踏み込んだばかりの方は大抵勘違いしてしまうのでその誤解を解くきっかけになればナーとか思って書いてみました。

 

                 

これは私の演技論なのですが、熱いハートと冷静な頭脳の両立目指してお芝居を楽しんでくださいまし!

(そしてまともな演技論を学びたいのであれば最初に紹介したような本を読んでください。こんなブログではなく、ね)

 

 

でぇどろん!

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

特集記事

Studio Color Taste

August 30, 2016

1/1
Please reload

最新記事